『不徹底な』映画好きの独り言

映画とお笑いについて考察していくブログです!!

映画『バトル・ロワイアル』考察! 〜グロテスク、バイオレンスだけではない魅力。世紀末日本の国内状況を考えながら〜 #1

今回は記念すべき一発目の考察ということで、私の一番のお気に入りの作品である

バトル・ロワイアルについて考察して行きたいと思います。

 

バトル・ロワイアル

バトル・ロワイアル

 

 

 『バトル・ロワイアル』は、監督に映画『仁義なき戦い』シリーズやドラマ『キイハンター』でおなじみの「バイオレンス映画の巨匠」深作欣二、出演者に自身2作品目の主役となった藤原竜也、前田亜季、山本太郎、安藤政信、ビートたけしらを据えて2000年に制作されました。

 

あらすじ

新世紀の初め、ひとつの国が壊れた。経済的危機により完全失業率15%、失業者1,000万人を突破。大人を頼れない世界に子供達は暴走し、学級崩壊や家庭崩壊が各地で発生。少年犯罪は増加の一途をたどり、不登校児童・生徒は80万人。校内暴力による教師の殉職者は1,200人を突破した。自信を失くし子供達を恐れた大人たちは、やがてある法案を可決し、施行する。それが、新世紀教育改革法、通称「BR法」だ。誰もが恐れる「死」を利用して、恐怖による支配によって大人の威厳を取り戻す目的で施行されたこの法律は、年に一度全国の中学校3年生の中から選ばれた1クラスに、コンピュータ管理された脱出不可能な無人島で、制限時間の3日の間に最後の一人になるまで殺し合いを強いるという法律である。

今回BR法に選ばれたのは、岩城学園中学3年B組の生徒たちだった。修学旅行のためにバスに乗ったはずが催眠ガスで眠らされ、無人島に連れてこられた生徒達に元担任・キタノの指導の下、食料と武器がそれぞれに渡されゲームが開始。極限状態に追い込まれた生徒たちは、様々な行動に出る。昨日までの友人を殺害する者、諦めて愛する人と死を選ぶ者、力を合わせて事態を回避しようとする者。自分から志願してゲームに参加する転校生の桐山和雄に殺戮される者……。

そんな中、生徒のひとりである七原秋也は、同じ孤児院で育った親友・国信慶時がほのかな想いを寄せていた中川典子を守るため、武器を取ることを決意。当て馬としてゲームに参加した転校生の川田章吾と共に島から脱出しようとする。

 

バトル・ロワイアル (映画) - Wikipedia

 

 

考察① エリート社会

それではまずBR法について分析していきたい。このBR法とはあらすじで述べたように、生徒同士に殺し合いを強いるものだが、これは日本の国力の低下、その影響としての日本の強烈なエリート志向が読み取れるのではないかと私は解釈する。BR法によって選定されたクラスの全員に殺し合いをさせ、最後に生き残った者だけが解放されるという言うなれば過剰な競争、自然淘汰を強いてエリートを育成するのである。バブル崩壊後、日本のGDPは低下し始め、96年から99年にかけては急激に下がったのである。

https://youtu.be/wykaDgXoajc

日本はそれまで、経済力に物を言わせて国際情勢においても多大な影響力を持っていたのだが、バブル崩壊によって経済力ならびに国としての総合力を失い始めたのだ。映画が公開された年が2000年ということを考えれば、こうした時代背景が映画の製作段階で大きく反映されたということも自然である。弱体化する国家が暴走し強烈なエリート社会を実現しようとする作品中の構図は、当時の日本にも起こりうる現実的な問題だったのではないだろうか。

 

考察② コミュニケーションの希薄化

次にコミュニケーションという問題を挙げたい。このテーマは若者と大人、そして若者同士の間でも見ることができる。まず、若者と大人の間でのコミュニケーションの齟齬に目を向けてみる。作品の中盤から終盤にかけて、キタノ(ビートたけし)に娘と電話をするシーンが度々描かれる。その中でキタノは娘から「おじさん」呼ばわりされ、「おじさん電話でも息しないで、臭いから」と言われる始末。加えて、キタノはクラスでも突然生徒から尻をナイフで刺されたりなど、若者とのコミュニケーションの仕方が分からず当惑している。しかし、キタノはクラスでいじめられている女子、中川とだけ打ちとけ合っている。というのも他の生徒がまともにキタノの授業を受けていない中で、中川だけが真面目に授業を受けていたからである(ただ、これがきっかけでいじめられることになった)。

二つ目に、若者同士の間でのコミュニケーションの希薄化では杉村弘樹(高岡蒼佑)について考えたい。彼は千草貴子(栗山千明)とともに行動しており、彼女の死ぬ直前には彼女から告白されたにもかかわらずそれを断ったのだ。その杉村は琴弾加代子(三村恭代)に好きだということ伝えるために会いに行く。しかし、会いに行くや否や、琴弾は杉村を撃った。なぜなら、この二人は一回も話したことがなく、信頼関係も全く構築できていなかったからだ。そうであれば、彼女がすぐに撃ち殺したのも頷ける。死に悶えながら杉村は琴弾に想いを伝えたのだった。こうしたコミュニケーション不足な片想いも特異でシリアスな問題として作品中で提起されている。総じて、世代を問わずコミュニケーションの仕方が当時の社会状況の変化などによって従来のものと大きく変わり、様々な弊害が生まれたと解釈できる。

 

まとめ

この映画は一見するととんでもない設定のグロテスク映画 、一大スペクタクルアクション映画といったように表面的な部分にフォーカスされがちだが、一度立ち止まりじっくり内容を噛みしめながら鑑賞してみると、作品製作現在の日本が抱える深刻な問題が浮かび上がってくるのだ。これは表と裏の二面で視聴者を楽しませてくれる映画であり、私がこの映画をお気に入りの一本としているのもこのような理由である。

 

 

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