映画『ラ・ラ・ランド』考察! 〜安全地帯・玉置浩二のワインレッドな音楽人生と重ねて〜 #3
ご無沙汰しています、ダイスケです!!
今回は絶大な評価を得ているミュージカル映画
『ラ・ラ・ランド』について考察していきます。
ピアニストの恋愛を描いた映画で、脚本・監督はデミアン・チャゼル、主演はライアン・ゴズリングとエマ・ストーンが務め、第89回アカデミー賞では『タイタニック』(1997年)、『イヴの総て』(1950年)に並ぶ史上最多14ノミネート(13部門)を受けました。
今回はこの作品を
~売れるか、自分を貫くか~
というテーマで、私の大好きなバンド「安全地帯」、そして玉置浩二さんの音楽人生と絡めて語っていきたいと思います。
あらすじ
夢追い人が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミア<エマ・ストーン>は女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末のバーでピアノを弾くセバスチャン<ライアン・ゴズリング>と出会う。彼はいつか自分の店を持ち、本格的なジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合うが、セバスチャンが生活のために加入したバンドが成功したことから二人の心はすれ違い始める……。
ミアとセバスチャンの哲学の相違
ふたりの距離が狭まり同棲を始めた頃、セバスチャンはあるジャズバーで旧友キースと再会してバンド加入の誘いを受ける。キースのバンドはジャズにロックやダンスミュージックなどを融合させた斬新な音楽だったため、古き良きジャズを好むセブは違和感を抱く。しかし、自身の店を開くための資金を調達するためバンドに参加することを決意する。ライブを訪れたミアは、バンドの曲がセバスチャンの求める音楽ではないと気付くが、バンドは大成功し、ふたりの生活はすれ違うようになる。
要するに、セバスチャンは自分を捨て、売れる(稼ぐ)ために音楽活動をし、ミアはその姿を否定するという構図である。
安全地帯、玉置浩二の音楽人生
安全地帯は1982年にデビューした北海道出身のロックバンドで、83年の「ワインレッドの心」、84年の「恋の予感」、85年の「悲しみにさよなら」などヒット曲を80年代に連発しました。
上記の曲のように、 ロックとはいっても歌謡曲や演歌の色が強い曲を世に送り出してきたのが安全地帯と言えます。
しかし、安全地帯はメジャーデビュー前、そして直後はパンクロックやシティロックといったジャンルの曲作りをしており、「うるさい」タイプのバンドだったのです。
ヘビー系のロックバンドだった安全地帯はメジャーデビューを果たしてもなかなか売れません。
というのも、当時の日本の音楽シーンは歌謡曲やアイドルソングばかりでこうしたロックは大衆には全く受け入れられなかったのです。
そうした状況の中で思慮を巡らせた安全地帯はロックの要素と歌謡曲(演歌)の要素を掛け合わせて当バンドの最大のヒット曲「ワインレッドの心」発表し、晴れて売れっ子バンドとなったのです。
しかし、のちに玉置浩二自身は「ワインレッドの心」について
「破滅の始まりだった」
と述懐しています。
「ワインレッドの心」がヒットしたあとは、次々と同じ路線の曲を発表し続けます。そしてそれらはヒットを繰り返していきました。
しかしその一方で、彼の中ではこれが本当にやりたい曲なのかと疑念が湧いてきたのです。
売れたいのか、自分を貫くのか。大衆に受けたいのか、高い音楽性を目指すのか。
この二律背反に引き裂かれた玉置さんは88年に安全地帯の活動休止を発表し、90年代に入ると精神疾患に悩まされることになってしまいます。。。
まとめ
演劇界や音楽界、日本かもしくは外国か。ジャンルや国を問わず、成功を掴むということは非常に厳しいです。そうした状況の中で、大衆に寄せるのか、はたまた自分の哲学を貫くのか、この選択を迫られた夢を追う者たちが日々葛藤しているのです。
映画に話を戻しますと、
セバスチャンは回り道をしたけれども、古き良きジャズを演奏するバーを開き成功した。しかし、ミアと最終的に結ばれることはなかったのです。
このように、全ての夢を叶えることの困難さ、何かを諦めなければならないというもどかしさを『ラ・ラ・ランド』は伝えてくれます。