『不徹底な』映画好きの独り言

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映画『トゥルーマン・ショー』考察! 〜監視、生中継され続ける世界のディストピア論〜 #2

今回は名コメディー俳優ジム・キャリー主演の名作

トゥルーマン・ショーについて考察していきます。

 

トゥルーマン・ショー (字幕版)
 

 

 

あらすじ

離島・シーヘブンで、保険会社に勤めるトゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)は、「おはよう! そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」が口癖の明るい青年である。彼は生まれてから1度も島から出たことがなかった。それは、父と一緒に海でボートを漕いでいたときに「嵐が来るぞ」という父の警告を無視して船を進め、嵐を回避できず海に投げ出された父親を亡くしたことで、水恐怖症を患ってしまったためであった。

ある日、彼がいつものように新聞を買ったあと、雑踏の中ひとりのホームレスの老人とすれ違う。それは幼い頃、海に沈み亡くなったはずの父親だった。しかしその直後、老人は瞬く間に何者かに連れ去られてしまう。彼はこの出来事をきっかけに、自分の周囲を不審に感じ始める。

実は、トゥルーマンは生まれたときから人生の全てを24時間撮影されていた。彼はアメリカ合衆国民ですらなく、彼の人生は全てそのままリアリティ番組『トゥルーマン・ショー』として世界220か国に放送されていた。彼の住む街は万里の長城に匹敵するドーム内に作られた巨大なセットで、太陽や月、星々も機械仕掛けの照明装置に過ぎず、雨や雷鳴などの気象も人為的なものであり、そして何よりトゥルーマン以外の人物は全て俳優なのであった。もちろん死んでしまったという父も本当の父ではなく俳優であり、父親役の俳優は実際は死んでおらず、のちに感動の再会を果たすことになる。

この番組ではCMは入らず、番組中で商品の宣伝が行われている、いわゆるプロダクトプレイスメントである。例えばトゥルーマンの親友マーロン(ノア・エメリッヒ)は、いつも缶ビールをカメラに向けてビールを宣伝している(もちろんこれは自然な形で行われておりトゥルーマンは気付いていない)。トゥルーマンの妻メリル(ローラ・リニー)も、草刈機や万能ナイフなどを日常会話の中でさりげなく宣伝していたが、あるとき不自然にココアの宣伝をしてしまう(「新製品のこの『モココア』をお試しあれ。ニカラグアの大地で取れた天然のカカオ豆を使ってて最高の味よ。人工甘味料は入ってないわ。」と、日常会話としては非常に不自然で話がかみ合っていなかった)。これを聞いたトゥルーマンは、周囲への疑いをさらに深めていく。

そんな妻との乾いた生活の一方で、トゥルーマンは学生時代に出会ったローレンという女性のことが忘れられないでいた。当時ローレンは、虚偽の世界に生きる彼を思い、「ローレン」とは役名で本名はシルヴィアであるということ、そしてこの世界が全て偽りであることを伝えようする。しかし「シルヴィアの父」を名乗る何者かによって阻止され連れ去られてしまう。「島を出るのよ!私を探して!」。ローレンのこの言葉を最後に、それ以降トゥルーマンと会うことはなかった。

自分の世界に疑念を深めたトゥルーマンは妻の働く病院に忍び込むが、そこでは素人同然の医師たちによる手術が行われていた。医者も偽物なのだと気づいたトゥルーマンは妻を連れて島からの脱出を考え、ローレンがいるというフィジー島へ行こうとする。だが、不可解なトラブルが続発して島の外に行く事ができず、さらに会ったことのない人間から「やあ、トゥルーマン」と呼ばれて混乱に陥る。脱出に失敗し落ち込むトゥルーマンを慰めようと、マーロンが死んだはずの父との再会を演出する。テレビの前の視聴者達は感動に涙するが、トゥルーマンはそのわざとらしさから島が作り物の世界であることを確信する。

やがてトゥルーマンはカメラの目を盗んで自宅の地下室から脱走し、ボートに乗り込んで島の外へと漕ぎ出す。トゥルーマンの行動に気づいた番組プロデューサー・クリストフは、トゥルーマンを救おうとするシルヴィアの制止を振り切って、トゥルーマンを嵐の中に放り込む。水恐怖症を克服して世界の端まで向かうトゥルーマンを、視聴者達はかたずを呑んで見守る。

ついに世界の端にある扉にたどり着いたトゥルーマンに、放送室にいるクリストフはマイクを使って話しかける。生まれたときからトゥルーマンを見続けてきたクリストフは、トゥルーマンを我が子のように考えていた。トゥルーマンは知らない世界に足を踏み出すことはできないだろうと確信しているクリストフは、「君はテレビのスターなんだ、何か言えよ!」と言う。するとトゥルーマンは突然カメラに向かって笑顔を見せ、いつもの調子で「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」と言い放つ。唖然とするクリストフを尻目に、トゥルーマンはセットの外の世界へと踏み出し、画面から去っていく

視聴者たちは『トゥルーマン・ショー』のエンディングに拍手を送った後、「次の番組はなんだ?」とチャンネルを切り替える。

トゥルーマン・ショー - Wikipedia 

 

それでは、この作品を「ディストピア」というテーマで考察していきたいと思います。 

まずディストピアの特徴について簡単に触れて置くと、

・全体主義的または管理社会

・人間の理性の限界に対する風刺

ということがあげられます。

ディストピア - Wikipedia

考察① 監視社会

トゥルーマンが住む「シーヘブン」は全てがセットであり、彼のありのままの生活を全世界に中継するためにカメラがあらゆる場所に設置されている。そこでの人々や自然や気候も全てセットであり、プロデューサーの意のままに動くので、偶発的な出来事などは絶対に起こらず100%安全な世界である。しかしながら、この世界には大きなデメリットが存在する。まず、シーヘブンで生活するトゥルーマンには事実上、全くの自由が許されていない。人間は基本的に他者や周りの環境によって行動を決定している。私自身も家族や友達などの他人と常に密接に関わっていきているし、大学という環境で時間を過ごしており、それらに依存した状態の中で生きている。また、私たちがいる実際の世界は、様々な考えを持つ人間がいて、様々な環境が存在し、そうしたカオスな状況で生活することで、成長し、人格などが形成されるのだ。しかし、シーヘブンの住人たちはみな番組で用意された演者であり、学校や職場なども全て番組側で操作されているのだ。いわばシーヘブンは全て番組の思惑通りの秩序しかない予定調和的な世界なのだ。よって、トゥルーマンが自身の意思で行動していると思っていても実際は番組に全て操られており、人権が気づかないうちに剥奪されていると言える。これは果たして安全で健全な社会と言えるのでしょうか。

 

考察② 神になる人間

次に、シーヘブンを全権的に操る番組プロデューサー、クリストフについて考察していきたい。現在私たちが暮らしている世界は、自然の摂理や神の力によって動いており、そこには誰の意思も介在していない(と私は考えている)。なので、気候はどうやっても変わらないし、地震や台風などの災害も起こってしまう。しかし、シーヘブンは全てクリストフ次第の世界である。当然ながら人間に不利益が被らないように、彼は基本的に安全な世界を提供している。人間には逐一行動を指示し、車にも常に指示し、さらには太陽と月の出方、雨の降り方と場所など全てを操作している。だが、映画の最終盤で、トゥルーマンが島から脱出を試みた際、嵐と雷雨、そして津波を起こさせ、彼を海上で殺そうとした。やはり、人間による世界の支配は不可能なのだ。人間が支配すると暴走してしまう可能性があり、そうなった場合はその世界は崩壊してしまう。これは自然の役割を人間が担ってはいけないというアンチテーゼだと解釈でき、近年の急激で過剰な科学技術の進歩(AIやロボット)に対する批判だとも解釈できるのではないだろうか。

 

まとめ

『トゥルーマン・ショー』はジム・キャリーのコミカルな演技のおかげで子供でも楽しめる面白い映画になっている。しかし、取り扱っている問題は非常にシリアスで我々は本当に考えさせられる。結果的に老若男女、映画を娯楽として見たい人、私のようにもっと踏み込んで分析したい人を問わず有益な映画となっている。

 

 

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